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野焼きをする前に−輪地切り・輪地焼き(夏から秋)− |
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輪地切り |
「輪地切り」とは、野焼きを行う付近の山林や建物に火が移らないようにするための防火帯づくりのことです。この作業は、夏から秋にかけて行うもので、野焼きを安全に行う上で最も重要で、重労働の作業です。草原と森林などの境にある草を幅6〜10mにわたって刈り払い機などで刈ります。その数日後に刈った草を焼いて、防火帯の完成となります。この作業は「輪地焼き」といいますが、周りの草原が枯れてから行うと引火しやすいので、まだ草が青い夏の終わりか秋の初めに行います。まだ残暑の厳しい折なので、大変な作業です。
この輪地は、急斜面につくられることも多く、足場が不安定でベテランの人でも作業が難航することがよくあるそうです。阿蘇市郡における「輪地」の総延長は、610km(平成15年度牧野組合調査結果より)もあります。これは阿蘇から名古屋までの距離にあたります。この距離を毎年切っているのですから、驚きです。
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野焼きの日を決める(2月) |
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「輪地切り」からおよそ半年後、各町村の合意と各牧野組合役員、役場とで協議がなされ、火入れ日(野焼きの日)が決定されます。そして、各戸にその日程が通達され、野焼きが行われます。野焼きは今でも大勢の人の手が必要であるため、休日を実施日とすることが多くなっています。
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集落の人が総出で草原に火を入れる−野焼きは集落の人たちのチームプレー |
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野焼き・輪地切りは江戸時代にも行われていました。当時これらの作業は、ムラの共同作業として行われ、個人的に行うことは禁止されていました。野焼きを行う場所も決められ、実施の手順、日程を報告することが義務付けられていました。それは、藩の貴重な財源である山林に火が入らないようにするためのもので、これらの約束に反した場合は、無事野焼きが終了しても、厳重に処罰されたといわれています。
今でも野焼きは往時の原型を引き継いで集落の人が総出で実施されています。牛を飼っている人も飼っていない人も、この日は野焼きをするために草原に向かいます。それは、数多くの人手を必要とする作業であり、常に細心の注意を払わなければならないからです。その先頭にたって指揮をとるのが、経験豊かな長老や牧野組合長とよばれる畜産農家として草原を利用している人たちのリーダーです。指揮をとる人は、着火の際に風向きを正確に読み、その後も必要に応じて作業員に的確な指示を出します。このように、野焼きはチームプレーがとても大切な作業なのです。 |
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今では、野焼きに参加しない人が増えていますが、野焼きは入会権を持つ人に義務付けられている作業です。参加しない人は「賦銭(ぶせん)」といわれる日当程度のお金を支払わなければならないというしくみがあるところもあります。
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野焼きの道具と服装 |
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野焼きには、火をつけるためのたいまつのほか、消火作業に使う火消し棒やジェットシューターとよばれる背負い式の水のうを用意します。火消し棒は、竹とかずら、もしくはスギの枝で作られます。ジェットシューターは、水をためるバッグにハンドパイプがついたもので、水を入れると重さが20kgにもなるので、集落でも若者がこの役目に担ぎ出されるようです。
服装は、化繊のような燃えやすい素材では、飛んできた火の粉によっても火がついてしまうので、必ず燃えにくい木綿の服を着用します。
このほか、マッチも持参します。これは、突然野焼きの火が自分のほうに向かってきた場合に、向かい火を放つために使うもので、やたらに使うものではなく、最後の手段として使うものです。それでも、炎に巻き込まれそうになったら、炎が一瞬弱まった隙間を見計らって、思い切って火に飛び込み、火の向こう(焼け跡側)へ飛び超えることが、火から逃れる最後の手段なのだそうです。
火消し棒
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ジェットシューター(手前)
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