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図中、黒色で示す部分が、地図記号から判読した草原(野草地)です。明治・大正期から現代までに、その面積が大幅に減少していることが分かります。 |
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○明治・大正期
阿蘇山は火口部と根子岳山頂以外は一面の草原。外輪山の外側にも草原が広がっている。
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○昭和20年代
阿蘇山周辺の草原が旧白水村付近の南斜面や火口部、根子岳、杵島岳、高丘山頂部を中心に樹林化。外輪山でも南側では草原が大きく減少。 |
○現代
阿蘇山の草原。外輪山の外側にも草原はさらに減少し、火口の中心部から1q〜4qの圏域に島状に樹林地を含みながら草原が残っている。 |
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阿蘇の人々は、千年ともいわれる長い間、採草や放牧などに草原を利用してきました。その結果、色とりどりの美しい花が咲き乱れる採草地や、毒をもつ植物が咲き、牛が嫌いな植物を食べるチョウが舞う放牧地など、独特の生態系が成り立っています。このように人と自然が適切に関わり合って成り立つ自然の代表が阿蘇の草原であり、人と自然の共生の例として、阿蘇が世界に誇るべきものです。
ところが、その阿蘇の草原が、いま危機を迎えています。上の図は、明治・大正期からの草原面積の減少の様子を示しています。日本一の広さを誇る草原ですが、その面積は減少を続けているのです。面積だけではありません。採草や放牧に利用する人の減少など、人と草原との関わりが薄れ、草原の質が低下しているのです。では、その背景について考えてみましょう。
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農業の形態が変わったこと |
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阿蘇市郡の繁殖雌牛の飼育農家戸数・頭数の推移
飼育戸数、飼育頭数が減少しています
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化学肥料の普及などにより緑肥や堆肥としての草の利用が減りました。また、トラクターなど農業の機械化が進み、かつてはほとんどの農家で飼っていた役牛の飼料としての草が要らなくなりました。こうした農業形態の変化とともに、茅葺き屋根の家もなくなるなど、生活様式の変化もあって、採草という草原との関わりが薄くなりました。 |
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畜産農家が減ったこと |
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かつては役牛としての飼育とあわせて、ほとんどの農家が、現金収入のために仔牛を生ませる母牛を放牧していました。しかし、牛肉の輸入自由化に伴って仔牛の価格が下がったことや、高齢化や後継者がいないといった社会的な問題から、畜産をしない人が増え、放牧という草原との関わりが薄くなりました。 |
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草原の維持管理が難しくなってきていること |
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草原を維持していくには、採草や放牧などにより、人が利用することが大切ですが、それだけでは草原を維持できません。毎年春に野焼きを行って、草の芽吹きを助け、質の高い草原を維持しなければなりません。
野焼きやその準備(輪地切り)の作業は、大変な重労働です。高齢化が進んだことや、 や のように草原と人々との関わりが薄れ、草原を利用する機会が少なくなっていることなどから、管理されない草原も増えています。 |